理想の自分or他人が心の中にいて導いてくれるように
嫌なことがあってへこたれそうな時、手を差し伸べてくれる人が身近にいたらへこたれないケースも多いだろう
しかし手を差し伸べてくれる人励ましてくれる人が身近に居ない人も多い
そんな時こそ妄想の力を借りた方が良いと思うのだが、その方法に気づけて実践して効果がありそうなので殴り書きメモ。
とりあえず、
いわゆる応援してくれる人を繊細に妄想で作り出す。
チベット密教のタルパみたいな。
この応援してくれる人は辛い時に頑張れよ!みたいな感じでリアルに励ましてくれる人。
重要なのは、妄想を超えた感覚でいること。妄想と認識できてたら効果ない。自分で自分を励ますのとは異なってあたかも他人に声かけられているような感覚になることが重要。
この時この励ます人が、自分でも問題ないが、出来るだけ今より離れている、理想の自分であることは最低条件。
ちなみに自分なりのコツとしては、今いる場所にその人がいる妄想はしにくい(今見えてる場所にその人がいないことは見たら認識できてしまうから、隣にいて励ましてくれるとかは難しくなる)ので、今いる場とは全く違う場所、例えば家の中にいたとしたら、目を閉じて異世界の青空の下をイメージする。そしてセットでその人を妄想する感じ。
あと空想上の人が良い。たとえば俺は松岡修造好きだけど、松岡修造を妄想して、異世界で隣に召喚して励ましてくれても、実際の松岡修造じゃないことは認識しやすい。なんたって松岡修造は今現実にいるんだから。
だからこそ、妄想の世界に住んでいる空想の人ってのがベスト。その空想の人はその異世界のオリジナルな住人だから。
現実逃避に近いっちゃ近いが違う気がする、現実が嫌になって妄想で理想の世界を作ってそこに逃げる現実逃避とは異なり、妄想の世界に一旦ワープしてイマジナリーフレンドに励ましてもらって、また現実に戻ってくる感じ?
現実に向き合える方法。
なかなか難しいかもしれないが効果はあるので習得したい。 以上殴り書き。
外に出て新しいことをする大切さ
ここ一年サウナにハマっている。
月3,4回は行ってる。1人で行ったり友達と行ったり。
いわゆる「整う」をやった後、休憩室でゴロゴロして帰るか、友達と一緒なら飯食ったりたまにカラオケ行ったりして終わる。
基本毎日毎時鬱なのだがその間は鬱にならないからとてもよい。
週末のうちどちらかの1日はそう過ごすのだが、残りの1日や行かなかった週末は家に籠るだけになり、そこでの鬱が酷かった。
家に1人だと何もやらず横たわり、ひたすら鬱になるようなことを考え込んでしまい、これじゃいけない、と鬱にならないように試行錯誤してなんかしようとして一日が終わる感じ。
どうにかせんとなぁ。とは思ってた。
しかしながら今回の週末はその解決方法が分かったというか、どっちか片方の一日が鬱と格闘みたいな感じにならず充実したまま週末を終えられた。
何をしたかと言えば、土曜に横浜のスカイスパに友達と一緒に行き、夜になってそのまま帰らずに友達と別れ、1人初めて個室ビデオに泊まり、翌朝関内の風俗街を通りながらラーメン食って、その後みなとみらい散策してokストアで食材買って帰った。
端的に言えば、個室ビデオや横浜散策など、外に出て新しいことをした。
日曜の昼ごろ帰ったが、その後引きこもっても鬱にはならなかった。
自分の充足感は何か新しいことしてたら満たされるのかなと感じた。
今後も土日は何か新しいことをしたり、行ったことない場所を散策したい。
そうすれば鬱にならずに済むかもしれない。
おまけ:
自分用に以下日記メモ
土曜日に
友人と2人で横浜のスカイスパというサウナに行った。
普段は東京の北の方に住んでいるので横浜となると小旅行な感じだ。移動時間も1時間以上かかる。
スカイスパの人数制限に引っかかり2時間くらい時間潰してやっと入場。
設備は意外と、少々古めな感じだったが、
サウナにアウフグースがあるのがよかった。
アウフグースはコロナ禍もあり中止しているところが多かったから、初めての体験になった。
ちなみにめちゃくちゃ熱い。息ができなくなるくらい。
熱すぎたので途中で退室して水風呂入って、椅子に座ったら身の危険を感じるレベルで脳がガンガンして少し痛くなる。整うというちょうどよい塩梅を超えてしまった。
なのでアウフグースはもういいかなぁなんて思った。自分には刺激が強すぎた。
一回は体験してみたかったので、ここでできたのは満足。
そんなこんなで夜になるまで浴場にいるうちに最高の整いスポットを見つけた。窓際の横たわれる椅子の真ん中。コールマンのインフィニティチェア。サウナ出て水風呂した後に窓際のインフィニティチェアに座って高層階ならではの夜景と満月を眺めながら整うのはマジで素晴らしい体験になった。
(室内の丸い照明が9つが窓に反射し満月もあるので、合計10個の月が夜空に浮かんでいるみたいだなと思ってた。)
大金持ちになったら同じ設備を家に作りたい。みなとみらいと日産やら富士ゼロックスの本社ビルやタワマンと満月というこの夜景の再現は難しそうだが。
その後飯を食おうとするもサウナ内の店はLO過ぎてしまい、休憩室で寝つつ8時以降もやってる店を探してなんとか見つけたラーメン屋へ行き、その後友人とバイバイ。
もともと、横浜に行くという話が出たところで、滅多に横浜なんて行けないのでネカフェかなんかに泊まって翌日行きたい店に行くもありだなあなんて思ってたのだが、
ラーメン屋を出て別れの時間になり友達とその話をした時に、横浜泊を強くお勧めしてくれた。
どうせ家帰ったら明日引きこもって無意味な一日過ごすだけやろ?泊まって明日も充実させたらええやん。と。
全くその通り。寒いのでネカフェ探す嫌さに萎えて帰ろうとしてたが結局残ることにした。
結局これがよかったなぁ。
ネカフェを探したがどこも高いのでもっと調べると、個室ビデオ鑑賞が安かったのでそこに行くことに。
アダルトな場なので今まで避けてきたが、行ってみると完全個室でネカフェより寝やすい。
DVD借りないと泊まれないのが面白かった。
あとホールやらゴムやらもタダで貰えた。ゴムが貰えるのはよくわからなかったが。
せっかく一泊したものの、やることせずに鬼滅を数巻読んで退出した。空のゴミ箱を店員はどう思うだろう。意外とよく居るのかも?ただ宿泊だけする奴。
ちなみに部屋の温度調節の仕方がわからず暖房暑くて寝れなかった。朝になってから入店時に渡されたマニュアルみたいなやつに温度調整方法書いてあったことに気づく。遅すぎた。最初に説明受けないと失敗するな、と今まで何度も痛感したことを再度痛感。
最初に説明スルーするから失敗しないと学べないのだ自分は。
その後行きたかったラーメン屋に行く為ブルーラインに乗り、関内へ。朝の風俗街を通りながら丿貫というラーメン屋に行くと開店前から行列ができてたので並ぶ。
ラーメンは美味しかったし、あん肝の和え玉が特においしかった。
目の前はソープ店で、出勤する女の人がちょうど店内に入ってたが、自分を見るや否や目元を手で隠してた。プロはすごい。
その後カルディへ向かい、欲しかったペコリーノロマーノがネットよりは安いもののokストアより高かったので、近くにokストアないかなとググるとみなとみらいにあったのでバスに乗って行く。バスに乗りながら横浜のビル群景色を見るのは楽しかった。これだよなぁ、俺の最近に足りてなかったものは。結局冒険は楽しいよなぁとか気付きつつ、横浜駅につき、okストアへ歩いて行く。みなとみらいまでの道の、日産の展示が素晴らしい。本社の地下を資料館と商品の展示会場みたくしていて、ちょうど通り道がそこの中を通るようになってた。そこを抜けるとタワマン多い。人も多かった。アンパンマンミュージアムを過ぎると、木下サーカスが広場でサーカスやってて、長蛇の列。かなりの人数。その前には動物愛護団体がサーカス反対運動をしてた。決して暴力的な感じのしない反対運動は、健全さを感じたな。
みなとみらいのokストアは大きかった。探してたザネッティのペコリーノロマーノはじめ、家の近くのokストアにはないものを買い込んで帰ることに。途中の日産の展示を見て、休憩して、副都心線に乗る。
電車一本で帰れるのは素晴らしいな。
楽しかったな、友達の言う通り横浜残って正解だった。
そのまま帰って寝てゴロゴロしたが、
普段は休日寝てゴロゴロしたら鬱になるのにならなかった。
外に出て陽に当たってたから体を動かしてたからなのか、はじめて個室ビデオ鑑賞に泊まったり、横浜ぶらついたりと新しい体験したからなのか、たまたまその日が鬱にならない調子の日なのか、鬱にならなかった理由ははっきりわからないが、それでも回避できたなら幸せだ。
新しいことしたら鬱回避説が生まれたので、今後も実行していく。次の土日は何をしようか、楽しみだ。
最近は何しているっけ
ブログを久しく書いてなかった
二つ前の記事にも書いた通り、アクセス数がないと言うのも理由だが、
何か書く対象が見つからなかったと言うのもある。
とはいえ、書いていなかった間、少しずつ何かをやった気がするので自分用まとめ。
・ゲームの企画書
3年くらい温めてる企画があり、何回か企画書化を試みて、一旦作ったものがあるものの、人に見せたらボロクソに酷評されたモノだ。
未だにこの企画はかなりの確率でヒットしそうだと思い込んでるゆえ、まだ諦めがつかず、また書き直しているのだが、なかなか進まなく放置していた。
そこで放置状態から脱却すべく、企画用に書いた三年分のiPhoneや手書きのメモをonenoteに纏めるという作業をしていた。
それにしても作業が遅すぎるよなぁ、、。
ゲームの企画書なんて、プロなら1日で複数個書くこともある。自分は3年かかってまだ完成してない。なんなら自分もプロなのに…。
ダメ社員だなぁ。
とはいえ、少しずつ前には進んでいる。
ここ数日は休んでいたがまた明日から続きをやろう。
・Unityを触ってみる
上記した通り新たなゲームを作りたい。
というわけでUnityをインストールして触ってみようとしたが、覚えることいっぱいだし俺はプログラミングができない。
結局インストールして開いたUnityの画面を眺めただけで挫折。メンタル弱すぎるよ。。
昔の自分ならワクワクで勉強してだだろうに。
アドビプレミア独学で触ってた高校生の頃に戻りたい。
ただ、こういうものってあらゆるモチベが低い自分でさえ、問答無用で1週間ガチでやったら多分基礎の基礎くらいはできてわかってくると楽しくなってくる気はするので、1週間詰め込みのスクールかなんか探してやってみるのもありかなぁと。安いやつでそういうのあるのかな。
ゲームつくるプロなのにゲーム作れないのヤバすぎるよなぁという危機感をずっと持ってたので始めたのもあり、挫折気味けどやるべきだよなぁ。、
・ゲーム実況にチャレンジ
自分自身、いわゆるゲーム実況というジャンルをほとんど見ないというか、プロゲーマーさんとかのLIVEしてるものならそこそこ見るのだが実況者のゲーム実況はほぼ見たことなく、見たとしてもあまり面白さがわからない人間だった。
ただ、ゲーム会社勤務企画職なのにゲームをやらないのはまずすぎる。おかしい。
そもそもやらなきゃダメだなぁなんて義務感ある時点でダメだよなぁ。普通はゲーム大好きで自主的にやってるはずだ。
ただゲーム実況って当たれば金稼げるよな、、お金稼げるなら、、なんて甘い考え持ってはじめてみた。
iPhoneでスターデューバレーを録画、iPadで声録音しつつプレイ。
やってみるも、話しながらってやっぱ難しい。ゲームの内容と関連づけて膨らませながらやらなければ基本沈黙が訪れるので、ゲームに集中というより慣れていない「実況」を気にしたままのプレイになる。
楽しいという気持ちもあまり浮かびにくかったな。こういうもんかな。
ちなみに撮り終わって聞いてみたあと、現実のゲーム実況も観たが、全然再生数ない動画とほぼ同じことしか言ってなかったので、データをひっそり消した。
まあやってみて可能性感じるかそうでないかがわかるわけだから、これはこれで良いよな。
ちょくちょくだけど、今後も動いていきたいね。
熱いぜ辺ちゃんを読んで
ここ最近、昔の福本作品をまんが王国で購入しては読んでいる。
ガメラ35、無頼な風 鉄、真実の男、熱いぜ辺ちゃん
個人的にはガメラ35がサクッと読めて、福本作品に共通するテーマがしっかり描かれているのでおすすめしたい。
もう一つ、熱いぜ辺ちゃんも良かったのだが、
読んで、考えさせられたシーンがあるので書く。
一巻の最後のシーン。
主人公、辺ちゃんのバイト先の店長である木島の父が亡くなってから辺ちゃんに届いた手紙の内容。
木島の父、退助はただただ怠惰な人間で、しかしやりたいことはあるが思い切って動けないという人間。
(自分そのものだ…。)
そのまま70歳になってしまい、身体が動かなくなってから、自分が無性に生きたいことに気づく。
そして今まで怠惰に生きてきたことを悔い、若者に、怠惰に生きると自分みたくなってしまうから、
全若者よ、いいかげんなところで「よいしょっと」ふっきって行動せよ。と
その想いを書いた手紙。
自分に対して書かれているようで、
自分も重くて怠惰なこの身体を担ぎ出さなければ。
と強く思った後
風呂の中で自分もこの退助おじいさんの様になったところを本気で想像した。
このまま行動しない人生を送り続け、
年老いて動けなくなり
死ぬ間際入院している自分を想像した。
とんでもなく後悔した。。。
あそこで悪い習慣を断っていれば、、
あそこで好きな子に声かけていれば、、
あそこで挑戦していれば、、
多分ひたすら悔やんで死んでいく気がする。
なぜならもう未来はないから。
死ぬ間際、自分は変われない。
それに比べて今は未来がある。
その分、まだ大丈夫なんて思ってしまうクズ思考も生まれてしまうのだが、
冷静に考えて、今変わらないと、今まで変われなかったんだからこのまま死んでいく気がする。
今変わらねば。。。と思った。
だからこそ、今失敗してもいいのだから、夢に向かって行動しよう。。
若いうちは失敗してもいい。なんて言われるから今のうちに。
なにより本気で取り組めば、今みたくテレビYouTubeばっか見て何もしないよりは経験値もつくだろう。
やらない後悔よりやる後悔。
そもそも今やろうとしてることなんて、企画書書くってだけでコストすらほぼいらないんだから。。。
書こう。
ある程度結果が出ている自覚がモチベーションになる
ブログを書くモチベーションが失われていた。
理由としては、アクセス数が全くないから。
ここ最近ずっと0。その前もアクセス数はあったが、ほぼ自分だったようだ。
要は書いても見られてない。
ブログを始めた当初、アクセス数については気にしないスタンスで
あくまで自分のために書こうと思っていたが、たまたまアクセス数を覗いた結果、やはりそれ以降は気になってしまう。
少し前、累計アクセス数が50くらいだった頃
そのほとんどが自分なんじゃないかと気になり、ググってみたところ、自分のアクセスはアクセス数に加算されないとの情報を見つけ、
それを信じて、始めたばかりなのに結構見られているんだな。なんてホクホク気分でブログを更新していた。
が、
一昨日くらいにはてなブログアプリ上で、前述した「自分はアクセス数に入らない」という情報が本当か気になり、
自分で自分のブログの記事に飛び、アクセス解析を見るとアクセス数が1増えていた。
まさかと思い、同じことを何回かしてみる。
毎回1ずつ増えた。5回記事開いたら5増えた。
その日はそれまで誰もアクセスしてなかったので、明らかに自分の分だ。
なんだ、自分もアクセス数に入るのかよ。。。
モチベがかなり減った感じがした。
自分が見て嬉しかった50という数字はほぼ自分のものだった。
ここで思ったのは、
もし自分がこのことに気づかなかったら、普通にブログのモチベも減らず、嬉々として記事を書き続けただろうってこと。
その勘違いをしていたままの状態の方が、ブログを書くのに適した状態だった。
自分にとっては。
報われていない現実を知っている
or
報われていない現実を知らない
どっちが良いかは人によって違うのだろうけど、自分は後者が良い。
いろんなことに言えるだろうな。
例えば、YouTuber目指している人がいたとして
動画は上げているものの、誰にも見られてない現実に気づいた場合、
やっぱ難しいんだな、、なんて思って諦めるかもしれない。
しかしその現実が見えず、誰かに見られていると思い込んでいる場合、
モチベは保つことができて動画をアップし続けられたかもしれない。そして継続は力なりという言葉通り、動画の内容も向上し、人気につながるかもしれない。
もちろん前者の、見られていない現実を知り、なにくそ根性で奮起できる人、なぜ見られないか分析、仮定立てて向上させるタイプもいるが、
自分はあいにくそんな優秀ではなく
見られてないんだなって思ったら、やる気を無くすタイプだった。
自分の場合はアクセス数を勘違いしてた方が良かったな。
まあ、ほとんどの人は
自分のブログがめちゃくちゃ見られていて、毎月10万アクセスあると思ったら、精一杯ブログに取り組むだろうし
自分が人気YouTuberで、10万人くらい登録者がいたとしたら、、、
そりゃ、10万人に見られる自覚から責任が生まれ、こだわって動画を作るだろう。
ただ、初期の人気のない頃から全力で取り組めるタイプもいれば、
自分みたいな、誰も見てないと認知している状態よりも、10万人見られていると認知している状態の方が、段違いで取り組めるタイプもいるだろうな。
その違いというのは、
要は、「全力で取り組んだのに結果が出なかった未来を避けたい」のだろう。
コストが無駄になる恐怖を心底で感じていて、努力をせず、力を抜く。
ブログやYouTubeはじめ、ビジネスなんかもそうだと思うが、基本的には始めたばかりは固定客もおらず、全力で取り組んだとしても結果は出にくい。当たり前の話のはずだ。
一方で結果が既に出ている自覚があれば、例えばブログであればいつも通り多く見られるはずだから、いつも見てくれるみんなの期待に応えよう。と、モチベ高く新しい記事執筆に取り組めるだろう。
こういった、すでに結果が出ているから、今回の努力も無駄にならない。というような自信は初期にはないから難しい。
いっそのこと自己暗示とかで、既に自分は人気だよ!今回もコストかけたら結果出るよ!と自分を洗脳できたらなあ。と思う。
まあ本当に持つべきものは、ブログのアクセスが0だったという逆境にこそ燃える性格だとは思うが。
結果が出てない逆境に燃えるメンタル、固定客がついて来た時に、胡座をかかずその期待に応えようと頑張れるメンタル。
その二つは大事そうだ。
夢との距離に絶望する以前に、歩き出せない
大きな夢をいくつも持っている。
なんなら世界平和は自分の夢だ。
差別のない世界も夢だ。
そんな夢があると、現実を見て、夢との距離に悲しくなる。
偉大な人は、そこでへこたれず、夢を実現する為に動く。
自分は夢との距離を見て絶望する。動き出さない。
距離が見えると絶望するから、テレビニュースは見ない。Twitterのトレンドは見ない。
そうやって傷つかないようにしている。
別に世界平和や差別のない世界みたいな道徳的な夢に限らず、
プログラミングを覚えたい
簿記の資格を取りたい
ゲームを作ってみたい
こういった普通の夢もなかなか取り組めない。
夢を叶えるための道のりを勝手に想像し、時間と労力がかかるなあ、めんどくさいなあと思って辞めてしまう。
そうやって生きてきたが、ふと思った。
夢と現実の距離に絶望して動けないの前に、何かもう一つ壁がある。
夢との距離が大きくても歩いていける人との大きな違いがその壁のような気がする。
それは、やはり成功体験もあるが、失敗した経験の数もあるだろう。
よく成功体験があるから、自信を持っていて夢に向かって頑張れるなんて聞く。
自分はそれとは逆に、
失敗経験が多いと多少の成功体験があったとしても、自信をなくし夢に向かって頑張れない。
もあると思っている。
自分は発達障害の傾向があり、社会人になってから同期の前で怒られ続け、同期との差を感じ、簡単な仕事しか振られなくなり、そんな毎日を続けて体調を壊して最終的に手術する羽目になった。
自分の失敗が続いたせいだ。
それでも失敗しないようにと、メモしたり、意識したりしたけど、発達障害の特徴もあり、なかなか改善できない。
並大抵の努力が必要な気がして、心が折れてしまう。
そんな経験が続いたらどうなるのか。
自信をなくし、夢があっても目指せなくなる。
失敗の積み重ねは自信もやる気も削ぎ、フットワークはどんどん重くなる。
挑戦は減り、自信を得られる経験も少なくなり、挑戦は減り、、、
結果この自堕落な生活があるのかもしれない。
では、自分はどうするべきなのか。
やはり不安だとしても、自信をなくしてしまう今の環境からは、抜け出さないといけない。
少しでも自信を取り戻せるような場所へ行かなくては。
それが何なのか。
今の仕事を辞めて、小さくできることを探してそれを仕事にするのか。
もういっそのこと、自分の理想像は目指さず、今のダメな自分を受け入れてくれる場所を探すのか。
わからぬ。しかし考え続ける。
昔みたく、また夢を全力で追えるような自分になる為に。
習慣化を目指すと失敗するのかもしれない
2021年が始まったと同時に、読書習慣をつけようと本を図書館で借りた。
ビジネスや株の本。
しかし少し読んだだけで飽きる。
そりゃ本のすぐそばにスマホがあるんだから、YouTubeやポルノやSNSに簡単にアクセスできちゃうんだから、
それならスマホに行っちゃうよね。というのが原因の一つだろう。
なかなか本に手が伸びないので「みんチャレ」というアプリを入れた。
これは簡単に説明するとグループを組んで、習慣化させたいことを今日これくらいやったと報告し合うアプリ。
要は他人の目、プレッシャーを利用する訳だ。
三日やってないと追放される。
自分は2週間以上はなんとか読書グループにいられたが、結局自動追放された。
他の人たち頑張ってたのに。申し訳ない。
途中、読んでもないのに読んだ報告して、嘘になるからと後から少し読んですぐ辞めることもしばしば。
結局2週間いて最後まで読めた本は一冊もない。
わかったことは、自分は本能のままやりたいことじゃないとできないということ。
読書習慣化はやりたいことだと思ってた。
でも本能的にやりたいことではなかったのだろう。
そう言う人間なのだ。もうこれは前の記事にも
散々書いたけど。
今書いてるブログは本能と義務感の狭間だ。こっちもいつか更新が止まるのかも。
後、もう一つ気づいたこと。
「みんチャレ」を利用した結果、自分の始めたアプリにも関わらず、仕事と同じような「やらされてる感」を少しではあるが感じてしまった。
利用したら逆に「やりたかったこと」から「やらされてる感」を感じてしまい、モチベが下がるという現象。
これを避けるなら、もう義務感を感じるような仕組みは自分には逆効果と割り切り、
自分の好きなタイミングで、やる気の出たタイミングで興味のあることに取り組んでいくしかない。
と言った感じで、自分に習慣化は無理だと言う話だった。
そういえば去年頃からちょくちょく3分くらいの瞑想をやるのだが、
こちらは毎日の習慣化などせずに、思い立ったらやるようにしている。
これは半年以上続いてるので、
結果「やらなきゃダメ」と決めなくてよかったと思う。
まあでも、習慣化を目指したことで、習慣化が苦手とわかって良かったのかも。
ps.
好きなラッパーの歌詞でこんなフレーズがある
「これはミッションじゃない事がミソ
義務は捨てる 権利を主張」
(EXTENSION - 崇勲)
人生の諸々はミッションじゃない。
生き方なんて自由なんだから。
毎日読書しなきゃ という
"義務"
ではなく
いつでも好きな時に読書できる という
"権利"
を持っている、
諸々をそういう風に捉えて行きたい。